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5.『ネメシス』を観たよ

●注意:内容に触れている部分があります。
 ストーリーを知りたくない方は読まないで下さい。
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前回まで子供時代の思い出話をしていたと思ったら今回は劇場版最新作『ネメシス』のお話。
最も過去の話から最新の話題へ、時間の輪はあっちとこっちで閉じてゆく。手塚治虫の『火の鳥』システム。深く考えるな。

今まで映画館で観たスタートレックは劇場版第1作と、前作の『叛乱』だけ。あとはテレビ画面でしか観ていない。観てないのもある。多分。まぁ、その程度のファンということで。
ただ、このところ自分のスタートレック度が上昇していて、映画館の椅子に座って「これからこのでっかい画面でスタートレックを観るのだ」と待っているだけでワクワクしてくる。
『ネメシス』に関しては若干の設定を雑誌で読んだくらいで、ストーリー的なことはほとんど知らずに映画館に入ったので余計に期待が高まる。TNGのメンバーが揃うのはこの映画が最後という噂もあって、少し感傷的になっているかもしれない。

それにしても最近は映画本編が始まるまでのコマーシャルや予告の時間が長い。許容範囲を超えている。映画1本を観るために費やす時間(映画館への往復とか、並んで待つ時間とか含めて)が長くなりすぎると劇場への足が遠のくと思うのだが、どうなんだろ。

延々と宣伝を見せられて、ああ、今日は『ネメシス』はやらないんだ。予告だけなんだ、そうなんだ。と思い始めた頃にやっと始まった。
最初のシーンはロミュラン帝国。議会のようなところで言い争いをしている。と思ったら変な光が出る装置で一方が皆殺しになってしまった。これが事件の発端。変な光が出る装置はクライマックスでまた出てくる。
連邦側はライカーとトロイの結婚式が最初のシーンだった。この二人が結婚するというのは知っていたが、いきなりなんだ。もう少しストーリーとの絡みがあっての結婚かと思ってたよ。あ、ガイナンだ。あれ?ドクターの隣に座ってるのウェスリーみたいだぞ?でもあいつ、どこか別の世界へ行っちゃったんじゃなかったけ?違う誰かかな?私はTNGと、DS9の途中までしか見ていないので、その後何かが起こっていても知らないのだ。
データが歌ってらぁ、あはは。なんてのんきに観ていられたのはこの結婚式のシーンあたりまでで、このあと物語はグイグイ進んでゆく。一つの小さなエピソードが決着するのに重なって次の事件が起こるような作りになっているので、気が休まらない。別に休まらなくていいんだけど。エンタープライズのブリッジで話していたピカードがしゃべり終える瞬間に強制転送された場面なんか、あっと声を上げそうになってしまった。

公開前に『ネメシス』を評した言葉で一番目についたのは「息つく間もない」という意味の言葉だったが、その陳腐な表現に映画自体の出来も心配になったりしたが、なるほどこういうことなら納得がいく。連続したアクションが長時間続くという意味の「息つく間もない」なら今時珍しくないが、ストーリーの展開や密度で「息つく間もない」という意味ならこの映画にふさわしい言葉だ。
ところどころ「そんなに都合よくいくかな〜」と思えるシーンもあったりしたが、後で納得がいったり、私が何かを見落としていた可能性もある。そんなには気にならなかった。というより気にしている暇がなかった。

巨大な戦艦同士の戦闘も評判どおり迫力があった。エンタープライズEは、歴代エンタープライズの中では一番戦闘的なデザインだと思うが、敵役のシンゾンの戦艦シミターと対峙すると、その凶暴さと大きさの違いに圧倒されてしまう。
さらに、遮蔽装置の性能などもあって、エンタープライズは常に不利な条件で戦っていて、思わず応援したくなる。

シンゾンは、冒頭に出てきた変な光を出す装置で地球人を皆殺しにしようとしているらしいということがわかって、どんな犠牲を払ってもそれを止めるのだ、となっていくのがクライマックス。
エンタープライズは体当たりまでするが止められない。おなじみの自爆シークエンスも今回は作動しない。単身シミターに乗り込んだピカードだったが、その後転送装置も壊れて、誰も助けに行けない。と思ったらデータが突拍子もない方法でシミターに飛び移る。
データは、艦長を救出するまでほとんど無言で行動していた。そして最後に「さようなら」。
え?
私はこの瞬間までデータが死ぬなんて思ってもいなかった。
シミターが爆発した後もひょっとして救出されるんじゃないかと思ってたくらいだ。
しかし彼は死んでしまった。
自己犠牲のシーンをクライマックスに持ってくる物語はあまり好きではないが、今回ばかりは泣けてしまった。

データを初めてテレビで見た時は「スポックの代わりにこいつがいるんだな」という程度の印象だったが、回を追うごとに、ドラマの中で重要な存在になっていくのがよくわかった。
思えば私がTNGを本当に凄いと思ったのは、データが艦隊の所有物で、研究のために分解してよい存在なのか、人格を持っていて、意思を尊重されるべき存在なのか諮問会を開いて決める、というエピソード、「人間の条件」を見てからだった。
それまでは「『宇宙大作戦』の新しいやつ」だったのが、このエピソードを見た後は、自分にとって独立したドラマとして大事に観るようになった。

こうして長いテレビシリーズを通じてつき合って来たデータが死んでしまった。
地球や艦長を救うために一番合理的と判断した行動をとったのだな、と思うと泣けてくる。
でも自分が死んでしまうのは悲しい決断だったろうな、と思うと泣けてくる。
最後のB‐4とピカードの会話も、姿かたちはデータと同じなのに中身があまりに違いすぎて泣けてくる。
さよならデータ。唯一の存在。

「スタートレックファンじゃなくても楽しめる」という言葉もこの映画に対して使われた言葉だが、データを失ったという気持ちは長い間ファンだった者ほど尾を引きそうだ。
そうか「スタートレックファンじゃなければあっさり楽しめる」か。

2003.5.20 GOBDASHA


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